2021年04月17日

リニアで変わる街の記憶(中日新聞の連載)

<リニアで変わる街の記憶>(中日新聞)
以下、新聞記事として縦書き原文のまま、Webサイトに掲載されたと思えますので、漢数字の一部はアラビア数字に変換して引用しました。本紙は有料ですから掲載部分のみの引用です。

2021.01.29 (1)伝統の型染め、絶滅寸前
   実家の創業124年の四代目として、型紙で「江戸小紋」を染めています。2013年には「信州の名工」にも選ばれました。
 10年前に、県道拡幅と新戸川の付け替えで3メートルほど移転したばかり。工場に入れる長さ20メートルの染色台も、京都で一番腕のいい職人さんに作り直してもらったが、その人はもう亡くなってしまった。少しの温度や湿度の変化で発色が変わるため、一気に染められる長い染色台が必要だが、染色台を作れる職人がいない。廃業になるかもしれない。
 昭和40年(1965年)ごろまではこのあたりに型染め工場が50軒あり、通学路の両側から機織り屋のガチャガチャという音が聞こえた。今は県内ではここ(上郷)に2軒のみ、全国でも10軒ほどしか残っていない。着物離れやプリントが増え、型染めは絶滅寸前です。
 長年の経験があってできる仕事。一度廃業すると、二度と復活できない。この仕事をしたいと言ってくれる小学生の孫もいる。うれしいけど、廃業したらかなわなくなる。
 リニアの計画では、自宅と工場、田んぼが県道拡幅と重なっている。県には2年後までに移転してほしいと言われているが、移転先は決まっていません。染色台を作れる人が見つかるか...

2021.02.03 (2)亡き夫との思い出の家
 50年以上前の節分の日に結婚して、そのあとすぐに主人がちっこい家を建ててくれた。最初は車庫がなくて、家を高台に上げて、その下を掘って車庫を作った。そのときはうれしかった。北条で重機を使ったのもうちが初めて。皆に「すごいな」と褒められた。...

2021.02.14 (3)飯田市上郷・北条地区 竹内宏之さん(67)
 江戸時代の後半ぐらいから続く家で、自分で七代目。自宅と農地の計約5600平方メートルが、駅周辺整備の区域と重なっています。
 今の家は、ついのすみかにと、退職後の2013年4月から建て替え工事を始めました。その年の9月に、リニア中央新幹線計画の発表があった。もうショックですよね。その数年前に恒川官衙(ごんがかんが)遺跡をルートから外してほしいと飯田市教委が要望していた。自分たちは犠牲になって、遺跡は残すんだなと、心のわだかまりは残っている。
 頼まれて移転するのだから、最低でも今の生活を維持したい。15年ほど前に亡くなった父には、一坪でも無駄にせんようにと言われた。長男は定年後、戻って農業をしたいと言っている。今は孫が来るのに合わせて準備して、イモ掘りをさせてやったり。そういうのを見ることだけが楽しみ。できれば住みやすい北条に残り、農地も残したいけれど、北条では農地を確保するのが無理。
 ここ何年かは地域の行事が衰退しているが、3年ぐらい前は上郷の運動会で北条が総合優勝し、盛り上がった。北条は三班まであるうち、私の住む一班はほとんど移転する。行事を継続していくことは難しくなると思う。
 リニ...

リニア中央新幹線開通による沿線地域の活性化、国土のグランドデザイン、スーパーメガリージョン構想が沿線地域の活性化に寄与するとの国政見解を信じて地域行政を進める。
その影響で人生が変わる人々がおられても、自分には関係無い出来事として無関心でいられる多くの人々。
コロナ禍が生みだしている悲惨な状況を確認しながら、国民の大多数が明日は我が身かも知れないと心と行動を引き締めているならコロナ禍の終結も早いかも知れませんが、現状はどうも違うようです。国が滅びる時は敗戦ばかりでは無いのだと感じる今日この頃です。
続きがあります・・・
posted by ict工夫 at 22:00| 地域活性化