以下、新聞記事として縦書き原文のまま、Webサイトに掲載されたと思えますので、漢数字の一部はアラビア数字に変換して引用しました。本紙は有料ですから掲載部分のみの引用です。
2021.01.29 (1)伝統の型染め、絶滅寸前
実家の創業124年の四代目として、型紙で「江戸小紋」を染めています。2013年には「信州の名工」にも選ばれました。
10年前に、県道拡幅と新戸川の付け替えで3メートルほど移転したばかり。工場に入れる長さ20メートルの染色台も、京都で一番腕のいい職人さんに作り直してもらったが、その人はもう亡くなってしまった。少しの温度や湿度の変化で発色が変わるため、一気に染められる長い染色台が必要だが、染色台を作れる職人がいない。廃業になるかもしれない。
昭和40年(1965年)ごろまではこのあたりに型染め工場が50軒あり、通学路の両側から機織り屋のガチャガチャという音が聞こえた。今は県内ではここ(上郷)に2軒のみ、全国でも10軒ほどしか残っていない。着物離れやプリントが増え、型染めは絶滅寸前です。
長年の経験があってできる仕事。一度廃業すると、二度と復活できない。この仕事をしたいと言ってくれる小学生の孫もいる。うれしいけど、廃業したらかなわなくなる。
リニアの計画では、自宅と工場、田んぼが県道拡幅と重なっている。県には2年後までに移転してほしいと言われているが、移転先は決まっていません。染色台を作れる人が見つかるか...
2021.02.03 (2)亡き夫との思い出の家
50年以上前の節分の日に結婚して、そのあとすぐに主人がちっこい家を建ててくれた。最初は車庫がなくて、家を高台に上げて、その下を掘って車庫を作った。そのときはうれしかった。北条で重機を使ったのもうちが初めて。皆に「すごいな」と褒められた。...
2021.02.14 (3)飯田市上郷・北条地区 竹内宏之さん(67)
江戸時代の後半ぐらいから続く家で、自分で七代目。自宅と農地の計約5600平方メートルが、駅周辺整備の区域と重なっています。
今の家は、ついのすみかにと、退職後の2013年4月から建て替え工事を始めました。その年の9月に、リニア中央新幹線計画の発表があった。もうショックですよね。その数年前に恒川官衙(ごんがかんが)遺跡をルートから外してほしいと飯田市教委が要望していた。自分たちは犠牲になって、遺跡は残すんだなと、心のわだかまりは残っている。
頼まれて移転するのだから、最低でも今の生活を維持したい。15年ほど前に亡くなった父には、一坪でも無駄にせんようにと言われた。長男は定年後、戻って農業をしたいと言っている。今は孫が来るのに合わせて準備して、イモ掘りをさせてやったり。そういうのを見ることだけが楽しみ。できれば住みやすい北条に残り、農地も残したいけれど、北条では農地を確保するのが無理。
ここ何年かは地域の行事が衰退しているが、3年ぐらい前は上郷の運動会で北条が総合優勝し、盛り上がった。北条は三班まであるうち、私の住む一班はほとんど移転する。行事を継続していくことは難しくなると思う。
リニ...
その影響で人生が変わる人々がおられても、自分には関係無い出来事として無関心でいられる多くの人々。
コロナ禍が生みだしている悲惨な状況を確認しながら、国民の大多数が明日は我が身かも知れないと心と行動を引き締めているならコロナ禍の終結も早いかも知れませんが、現状はどうも違うようです。国が滅びる時は敗戦ばかりでは無いのだと感じる今日この頃です。
2021.02.23 (4)飯田市上郷・北条地区 男性(53)と妻(53)
今の家は借地で、約20年前に建てました。雪も少なく、(商業施設の)イオンや学校が近くて便利が良かった。当時、二人の娘は保育園児。アパートから初めての一軒家への引っ越しで、広い家に住めると楽しみだった。
庭でかまくらを作ったり、夏休みにはお弁当を詰めて、ウッドデッキでひなたぼっこしながら食べたり。家の中でも、子どもたちと鬼ごっこをしたり、ラップの芯で家を作ったり。家族でいろいろすることが好きだった。思い出はたくさんあり、きりがない。全てが思い出だな。家を壊すときは寂しくて仕方がないと思う。
リニア中央新幹線の駅がなんとなくこの辺になることは知っていたが、まさか移転対象になるとは夢にも思わなかった。うちは駐車場になるのかな。
娘二人は県外におり、上郷内で空き家になっている妻の実家に夫婦二人で移転する予定。昔から知っている人が「早く帰っておいでよ」と言ってくれてありがたい。ただ、実家は築48年ぐらい。移転の補償費で今の家を解体して残りのローンを払い、さらに実家を壊して建てられるのか。次から次へと難題が降ってくる。
最近は「新しい暮らしができる」と前向きに考えようとしている。そうしないと、...
2021.03.06 (5)飯田市上郷・北条地区 男性(80)
500年前から北条地区に続く家を代々継いできました。自然災害に見舞われて地区内で二度移転し、今の家は140年前から。自宅や所有している土地、農地が、リニア中央新幹線の本線や駅周辺整備区域に当たっています。
五歳のときに父が戦争で亡くなり、母が女手一つで育ててくれた。なんとか行けた高校で柔道部に入り、就職してからも子どもたちに柔道を教えた。教え子が教員や医者になって活躍しているのが心の糧だな。今は妻と息子、娘と四人暮らしです。
うちでは市田柿を出荷しており、樹齢50年以上の柿の木が約80本もある。市田柿は最近、海外にも販売ルートができているので、できるだけ続けたい。市内や町村部を探してみたが、今と同じ広さの移転先は見つかりません。
リニアの駅がなぜここに決まったのか、JRも市もちゃんと説明できていない。どいてもいいかなと思える雰囲気じゃない。
静岡の問題や、全国の新幹線の駅でも泣いているところがある。開業が10年遅れてもまかなえる財政的な余力が飯田市にあるのかも分からない。皆が納得できるものならいいが、リニアは不安定要素が大きい。
家はただ寝て起きる場所ではない。明日に向けてエネルギーを蓄...
2021.03.25 (6)飯田市上郷・北条地区 女性(83)
息子と娘を女手一つで育てました。母子家庭にはあまり家を貸してくれなくて、結局は自分の家がなけりゃだめだなあと思って、始末倹約をして、今の場所に家を建てたの。40年ほど前に土地を買って、10年たってお金がたまったら家を建てて、また10年たってお金がたまったら二階を造って、こつこつと。小さな小さな、雨風をしのぐだけの家だけど、本当に大切な家なんだに。...
2021.04.04 (7)飯田市上郷・北条地区 吉川惟都郎さん(83)
妻、娘と三人暮らし。北条で200年ぐらい続く家で、私で4代目です。...
2021.04.06 (8)飯田市上郷・北条地区 男性(64)
両親と妻、子ども三人の七人暮らし。新戸川の付け替えと県道拡幅で、10年ほど前に自宅と農地を5メートルほど後ろにさげたばかり。リニア中央新幹線の事業では、県道拡幅と駅周辺整備の区域に重なっています。...